実はサラリーマンだった元祖・伊達直人がタイガーマスク運動の再燃を切望

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タイガーマスク運動とは

今から6年前、日本各地で「タイガーマスク運動」なるものが広がったのを覚えていますか?
ことの始まりは2010年のクリスマスの日。

群馬県中央児童相談所(前橋市)に10個のランドセルが贈られました。差出人は漫画タイガーマスクの主人公・伊達直人と名乗る匿名の人物。

その後、各地の児童養護施設あてに自称・伊達直人氏からの寄付行為が相次いだのです。この善意の輪を「タイガーマスク運動」と称し、当時は社会現象にまで発展しました。

でも6年も経つと「タイガーマスク運動」が、人々の記憶の中で存在感をなくしてしまったことは否めません。

そんな中、タイガーマスク運動の先駆者が実名と顔を公表したというニュースが流れました。

タイガーマスク運動 先駆者の素顔

伊達直人を名乗っていた人の本名は、河村正剛さん。現在は群馬県在住で年齢は43歳。どこにでもいる極々ふつうのサラリーマンです。

テレビニュースに映し出された伊達直人の素顔が、あまりにも普通過ぎて、私は逆にビックリしました。

実は私、「タイガーマスク運動」が一大ブームになった当時、伊達直人氏は大金持ちのお爺さんだと勝手にイメージしていたのです。

「ランドセルを何個も寄付できるなんて、かなりのお金持ちに違いない!それも有り余ったお金の使い途に困っているご老人に違いない!」

私の中で、勝手にそんなイメージが定着していたのだと思います。

「タイガーマスク運動」が世間に広まり始めた当時の河村さんは、37歳。今の私と同世代です。

そう気づいてみると、恵まれない子どもたちのために行動を起こした河村さんに比べ、自分の不甲斐なさを反省してしまいます。どんなときでも「できないことの言い訳」ばかり探しているようではダメですね。

河村正剛さんの生い立ち

善意の人、河村正剛さんとは一体どんな人なのでしょうか。

九州出身の河村さんは、母子家庭に生まれた上に、そのお母さんを幼くして亡くしています。生活に困窮したのは想像に難くありません。

だから、ランドセルを持つことができなくて、学校には手提げ袋で通ったそうです。子供の頃の河村さんは、「貧乏」とか「親なし」といった周囲の心無い言葉にどれほど傷ついたことでしょうか。

大人になってからも、就職時には身元保証人を探すのにご苦労されたようです。親がいないことで数々の理不尽な目に遭った経験が、河村さんに「タイガーマスク運動」を決意させました。

児童養護関連の施設にランドセルを贈るという行為は、不遇の中にいる子どもたちに何かしてあげたいという衝動の発露だったのでしょう。

河村さんは言います。
 

「自分の過去はもう取り戻せないけれど、子どもたちの未来はこれから変えられる。自分の昨日より、子どもたちの明日だ!」と。

素顔を明かした真意ときっかけ

「親のない子どもたちに自分のようなつらい思いをさせたくない」という河村さんの信念から始まった「タイガーマスク運動」

それが、6年の時を経た今、どんどん陰りを帯びてきたことを河村さんは懸念していたそうです。

そんな折り、初代タイガーマスクの佐山聡さん(59)と知り合ったことも、「もう一度、タイガーマスク運動を盛り上げよう」というきっかけになったそうです。

 

ちょうど12月7日(水)に、初代タイガーマスクの35週年記念イベントが開催されるのを契機に、素顔と名前を公開することにしたのだとか。

 

その真意は、

自分が普通のサラリーマンだと知ってもらうことで、「お金持ちじゃない、こんな普通の人だって君たちを支援しているんだ」と呼び掛けるためだったそうです。

親世代への警鐘

子どもは生まれてくる環境を選べません。近年は虐待も増え、児童養護施設を利用する児童も急増しているそうです。

「子どもは虐待されるためではなく抱きしめられるため、涙を流すためではなく周りの人を笑顔にするために生まれてきた」と、河村さんは強く訴えています。

確かにそのとおりです。

河村さんの活動とメッセージは、不遇な環境に置かれる子どもが減らない現代社会、とりわけ親世代への警鐘だと言えるのではないでしょうか。

今すぐ、何か大きな活動をしようとするのは難しいです。でも、私にも、そしてあなたにも、すぐにできることがひとつあります。

それは、子どもを心から愛して、いつもしっかりと抱きしめてあげること。

ひとりひとりが意識すれば、きっと子どもたちの笑顔が増えるはずですね。

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